2020/09/04

2020年8月に観た映画。


『シーバース』★
『美加マドカ 指を濡らす女』★★
『オフィスラブ 真昼の禁猟区』
『覗かれた情事』★★
『母娘監禁 牝』★★★
『愛欲温泉 美肌のぬめり』
『団鬼六 少女縛り絵図』
『ひと夏の秘密』★
『エクスタシーの涙 恥淫』★★
『官能教室 愛のテクニック』★
『高校さすらい派』★★
『終わらないセックス』
『天使のはらわた 赤い淫画』★
『エアポート'75』★
『東京戦争戦後秘話 映画で遺書を残して死んだ男の物語』★★
『よこがお』★★
『淵に立つ』★
『二十才の微熱』
『渚のシンドバッド』★★★
『ハッシュ!』★
『大曾根家の朝』
『肉弾』★★
『Hold Me While I'm Naked』ジョージ・クチャ―
『日没の印象』鈴木志郎康 ★★
『波長』マイケル・スノウ ★
『Little Stabs at Happiness』ケン・ジェイコブス ★★
『Window』ケン・ジェイコブス
『Bridges-Go-Round』シャーリー・クラーク
『午後の網目』マヤ・デレン ★★
『夜への前ぶれ』スタン・ブラッケージ ★
『連鎖自殺 メル友 (18才 下着の中のうずき)』
『SPETTERS/スペッターズ』★★★
『生き残るヤツ』★★★
『河内のオッサンの唄』
『明治侠客伝 三代目襲名』
『牙狼之介』
『牙狼之介 地獄斬り』
『美女と液体人間』
『マングラー』★
『ガス人間第1号』★★
『フランケンシュタイン対地底怪獣』
『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』★
『ブリュッセル、60年代後半の少女のポートレート』シャンタル・アケルマン ★★★
『街をぶっ飛ばせ』シャンタル・アケルマン ★
『部屋』シャンタル・アケルマン
『おなかすいた、寒い』シャンタル・アケルマン
『The Flower Thief』ロン・ライス
『地球防衛軍』★
『Chumlum』ロン・ライス
『モントレー・ホテル』シャンタル・アケルマン
『女生きてます 盛り場渡り鳥』NFAJ ★★
『宇宙大戦争』
『妖星ゴラス』★
『血を吸うカメラ』★★
『海底軍艦』★
『死霊伝説 完全版』★★★
『スポンティニアス・コンバッション 人体自然発火』★★★
『センチュリアン』★★★
『闇のバイブル 聖少女の詩』
『ブラック・ムーン』K'sシネマ ★★

8月は60本。短い実験映画とかもちゃっかり1本に数えてますが、映画は映画だから!すべての映画は平等!「すべての映画は平等である」っていうのは、国立映画アーカイブの研究員をされている岡田秀則さんの著書『映画という《物体X》』にあった言葉で、これすごく面白い本です。岡田さんが国立近代フィルムセンターに就職して初めてフィルム保存庫を見たときのことをこう書いてます。「小津映画とピンク映画のフィルムが、同じフロアで、同じ温湿度環境の中で健やかな眠りについているではないか。作られたからには、すべては同じ条件で扱われる。これは素敵な光景だ。」続いて、「あらゆる批評は良い映画と悪い映画を区別せざるを得ない。(中略)しかしアーカイブは映画を選ばない。そもそも「良いものも、良くないものも」という考え方自体が、私たちが知らず知らず身につけてしまった呪縛なのだ。」と。それからフィルムセンターで数多のフィルムと触れ合うなかで、「この時、映画は「良い」や「つまらない」から解放されるのだと悟った。同じく円盤状に巻かれたプラスチックの帯として、すべての映画は無言の連帯を始める。」と、映画マニアからフィルム・アーキビストへと変身していく。そして「面白くない映画を我慢して見ることで人間は深みを増す」という僕も大好きな田中小実昌の言葉を引用しつつ、ボルヘス『バベルの図書館』も引き合いに出しながらこの世界の「すべての映画」に思いを馳せ、「面白かろうが、つまらなかろうが、どちらも"映画"であるからには絶対的に可愛いのだ。(中略)一つ一つの映画が面白いというより、"映画"と名づけられたこの体系全体に愛着を感じている。」と"映画愛"を語ります。僕は「映画好きなの?」と聞かれたら「んんーまあまあ…」とか「好きな映画はたくさんありますけど…ゴニョゴニョ…」とか言ってますが、それが僕の真実!"映画愛"に限らず、一緒くたな"~愛"とかそういうのって僕には全然当てはまらないと思いますね。好き嫌いで選別してるんだから。いやまあだからといって他の誰かが「映画好き」「音楽好き」とか言ったときに、「つまらない映画やつまらない音楽ですら好きなのか!?」と問いただしたりはしませんが。「音楽なに聞くの?」「なんでも聞く~」「今"なんでも"って言ったか!?本当か!?」みたいなね、そういう性格の悪いことはしません。好きなものへの向き合い方は人それぞれです。「人それぞれ」って結論、だーいすき。いや話を戻すと、えー『シーバース』『美加マドカ』『オフィスラブ』…、とそこまでは戻りませんが、話を変えますが、川本三郎が70年代に書いた評論集『朝日のようにさわやかに』を最近読みまして、冒頭にいいことが書いてありました。ポール・ニューマンの名作『ハスラー』の話をしている中で、「実際の『ハスラー』のこの場面はこの通りでなかったかもしれない。なにしろ10年以上も前に1回見ただけなのだ。(中略)"事実"は多少違っているかもしれない。(中略)だがそんな"事実"はどうでもいい。私の中にはいつのまにか、今書いたような場面が"事実"とは異なっていようが、ひとつの"真実"として長年生き続けているのだ。(中略)私は「事実よりも真実を」という主義なのでこまかいシーンの正確さは気にしない。よく、映画を語る人には、ある場面のことをことこまかに正確を期さないと承知しない人がいるけれど私は、"事実"なんてどうでもいいと思っている。」この開き直りには感銘を受けました。VHS登場以前の「映画を観る」という行為の格別さ、「映画を語る」という行為の大雑把さ。僕なんか「あれどうだったかな~間違ってるかもな~」ってなったら、確認が取れない以上はその件については黙っちゃいますもんね。「アナタ、それ違います」ってつつかれたくないから。でも、スクリーンに上映される映画も、それを思い出しながら頭の中で上映する映画も、本人にとっては等価なんだな~って、頷いちゃいました。数年前、池袋の新文芸坐に関川秀雄『大いなる旅路』『大いなる驀進』の鉄道映画二本立てを観に行ったときに川本さんのトークショーがあったんですけど、そのときの瑞々しい語り口も印象深いです。あと、川本さんがどこそこの映画館で3本立てでなになにを観たとか書いているのを読むと、田中小実昌の映画エッセイとか読んでてもそうですが、当たり前のようにそこら中に映画館があったんだな~って羨ましくなります。中年がよく話す「ぴあ片手にさ~映画をさ~観にさ~行ったのさ~」みたいな日本昔話も好きで、映画館にいると思っていたのに気づいたときには周りは草木の茂る山の中で、スクリーンだと思ってたのは月の光に照らされた大きい岩で、ポケットに入れておいたはずの半券が葉っぱに変わってて、タヌキのやつに化かされた~(CV:常田富士男)みたいなね。いやーそんな時代もあったんだなーと。それを経たおかげで中年になってから加速する所有欲怖いなーと。そんなことを思いますね。ときに、8月観た映画ですけどね、斉藤信幸『母娘監禁 牝』がよかったです。主演の前川麻子がホントにホントに素晴らしかった。例えば、根岸吉太郎『狂った果実』の蜷川有紀とか、羽仁進『午前中の時間割り』の国木田アコとか、頭に一生こびりついてしまうタイプのヒロイン。大木裕之『エクスタシーの涙 恥淫』は、ピンク映画のフォーマットに則った構造的な実験映画で面白かったです。実際大木監督はイメージフォーラム映像研究所の出身でゲイ&レズビアン映画祭なんかにも多く参加しているどちらかというとアート寄りの方で、他の作品も観てみたいなーと思いました。ゲイ映画といえば、橋口亮輔の『渚のシンドバッド』にギャン泣き…。こんな浜崎あゆみを僕は知らなかった。律儀に終戦記念の日に観た岡本喜八『肉弾』も傑作でしたし、あと長い映画好きじゃないので実験映画なんかも観てたんですが、ケン・ジェイコブス『Little Stabs at Happiness』、スタン・ブラッケージ『夜への前ぶれ』、マヤ・デレン『午後の網目』などなど、すごく好きでしたね。だいたい『メカスの映画日記』に載ってたやつです。ロン・ライスもそうです。んで日本の日記映画、鈴木志郎康『日没の印象』サイコー。自分のカメラで映像を撮るってことの喜びに満ち満ちている。Vimeoで観れます。あとは、50~60年代の東宝特撮も面白かったし、『生き残るヤツ』『センチュリアン』はどちらも最高でやっぱ70年代アメリカ映画大好き~と思ったし、『マングラー』『死霊伝説』『スポンティニアス・コンバッション』トビー・フーパーは素晴らしい。夏の終わりにはカーニバル映画『ファンハウス 惨劇の館』が観たくなりますね。映画館に行ったのは2度。森崎東とルイ・マル。どっちもよかった。そんなかんじ。そろそろ普通に働いたり友達と遊んだりしたい。
ベスト・サマー・エバー!ウソ!以上。