夢で 地下の、水のある映画館に居た
暗くて映像がよく見えないので映写機の明るさを上げてほしい、と、右端に座る学生が言っていた
モノクロの粗いフィルム映像で、女の人が映っていた
名前、本当は漢字であるものを敢えてひらがな、もしくはカタカナ表記にしている作品(特にアニメーション作品)が多いことに気づいた
例えば、(憶測だけど)
『魔法少女まどか マギカ』の
鹿目まどか まどか 漢字なら 円
暁美ほむら ほむら 漢字だと 炎
なんじゃないかと、思ったのです、よ
あ!
これ以上踏み込みたいが踏み込むと未だ観ていない方にとってはネタバレになってしまうので踏み止まります 黙々
今度新作も公開されるようなので是非観てみてください
まどマギだけじゃなく、『新世紀エヴァンゲリオン』の登場人物名についても同じようなことが起こっているし(これに関しては林原めぐみ姐さんが歌っている「集結の運命」を是非聴いてほしい。それぞれの名前を探すの とても楽しかった)(これシン・エヴァ以前に作詞されてたの、すごい)
あとは『少女革命ウテナ』の
主人公、天上ウテナも ウテナ とは 萼 であり、花の最も外側にあり花が咲くために花弁を支える器官
または 台 であり、創造神や仏が座す蓮の花の台座
全編最後まで観てから名前の漢字を考える遊び、とても楽しい
仮名 仮の名前
何故最初から漢字表記にしないのか?と考えたけど
もちろん結末の予測や漏洩を防ぐため、ということもあるだろうけど
その名前をもつ本人ですら、自分の名前の指し示す運命(さだめ)の行く先がわかっていないから というのが大きいのではないかと思った
これは作品世界に限った話ではなく、この世界を生きるわたしたちも、きっとそうなのだろう(時空や次元の境界なぞ曖昧で、今後さらに融けていくのもの)
名前の自覚
自分が「誰」であるのか
自我、意識、つまり太陽は自覚していないと使えない
だからわたしは、あらゆるものの名前が好き!
本当の名前を知りたい
名前は包括するもの、統べるもの、だから 冠する の
自戒の込められていない文などあるだろうか?
その時、他者や外の世界に向けて発した言葉や文章、感情は、本当は自分に向けられたものなのではないだろうか
それが無意識であれ、いや寧ろ無意識であればあるほど
「自分」が自分に言いたい言葉なのではないかと
そんな風に思う