椎名林檎の『果物の部屋』というデモ曲。
そのなかに
「暗い部屋では 煙の先に 常に一人の 男をうつして」
という詞がある。
映画を観ていてよく思うのは、男は「ひとり」、女は「女たち」であるということ。
「男」という人生のまっすぐさ、「女」という職業。
それは狩猟時代からDNAレベルで引き継がれているのだと思う。
率先して狩りに出るために個としてのちからを付けた男と、群れをなすことで仲間を守り調和を保つ能力に長けた女。
よく夢について調べているのだが、新しくわかったことがある。本人の性別に関わらず、無意識の投影先は女性であるということ。
去年観た映画で色濃く印象に残っているもののなかに『サスペリア』(ルカ・グァダニーノ監督のほう)がある。夢はみているのではなくみせられているのだと思っていたけれど、この映画でも夢は操られていたな。過去のことを思い出そうとするとき、夢なのか現実なのかわからなくなることがある。夢でみたことが現実に起こるから。三女神。深き淵よりの嘆息。
どこかの誰かが狂っているかどうかなんて判断する物差しですら狂っているだろ。逆に「自分は狂っていない、真人間だ」と主張する人のほうが怖い。嘲笑う人たち。本当にどうでもいいことのほうが多い。羨望の眼差しは紅い海に溶けていく。皆、何に怒っているの。
最近はずっと緊張しているくせに血が巡らなくて頭も回らない。歯のくいしばりすぎなんだ、きっと。痛いわ。呼吸がはやい。
殴り書きのような日記ばかりが増えていく。これは日記ではありません。
乱視でさだまらない光。
部屋は綺麗に保ちたい。