2020/01/18

『音楽』、『ラストレター』をなかったことにする『ハロルドとモード』

1月17日
久しぶりにアップリンク以外の映画館に行ってまずは大橋裕之原作『音楽』を観た。客層がジジイもいるし成人したてみたいな大学生の男の子たちとか、明らかにサブカル女子とかがいていい感じだった。内容はともあれエンディングがなぜドレスコーズだったのか、その統一感のなさ、最後のブチ壊しで完全に萎えた(ていうかプロモーション的な戦略とかが見え透いていて無理)けど、最後のケンジがリコーダーを吹く演奏は、ともだちのおっさんがベース弾いてたから1000点だった。まあそれ以外は特に言うことなし。上京して中央線で活動するカルチャーと、幼少期からそこで生きてきたカルチャーとではやっぱり齟齬があると思う。そんなことを物心ついた時からあった吉祥寺パルコの近江屋閉店を耳にして強く感じた。別にどちらに優位があるとかそういう話がしたいんじゃないけど、やっぱり齟齬はそこに存在するんじゃないか。結局、近江屋は小さい頃おばあちゃんに連れられて行ったっきりだった。さようなら。

その後、展示を見て再び新宿に戻り、公開初日の岩井俊二『ラストレター』を観た(公開初日に観るなんて大好きじゃん!恥ずかしい!って騒いでた)。映画をたくさん観るようになったのは大学入ってからだった。で、ちょうどどハマりしたのが岩井俊二だった。よくある話すぎるでしょ。いちばん好きなのは『PicNic』で、もうCharaばっかり聴いてた(あーよくある話!って恥ずかしくなる、でも当時はめちゃくちゃシビれた)。『リリィ・シュシュのすべて』も『花とアリス』もやっぱり好きで、『四月物語』なんかはそれから数年間、春になるたび観ていた。
夢から醒めたのは『リップヴァンウィンクルの花嫁』を観たときだった。もう4年も前かと思うとびっくりしちゃうけど、ともだちと観に行って私は完全に萎えて帰りの飲み屋で永遠に私は二十歳前後どんだけ岩井俊二が好きだったか、そして今回でどんだけ嫌いになったかを勝手に語っちゃったのを覚えている。私はもうその頃には夢から醒めてしまっていたし、同時に岩井はこちらからしては気持ち悪い美しさを追求しすぎてしまっていた、と信じたい。で、萎えてぶりの『ラストレター』はやっぱりげんなりしてしまった。松たか子がどう考えても私にはエグく映る。岩井俊二的美しさはいつからか私には気持ち悪いもしくはダサいものとして感じるようになってしまったのだった。それを悲しくも思うし、いやいや完全にダセーだろキモって思う自分もいる。高校の名前も、庵野もこちらとしては完全にスベってんぞおっさんって感じだった。福山雅治の度重なるサインの反復は何か意味があったのか、それだけは気になる。
弱さを美とする感覚が年々苦手になっていっている。私は強いから、で、弱いひとがちょっと羨ましいから。でもそれでいいんだと思う。「でもね、別に誰かに助けて欲しいなんて思ってないし」って先日母が吐露した言葉はまさに娘も引き継いでるよって思った。

で、その日はあんまりにも映画失敗デーだったから帰宅後に『ハロルドとモード』を観たんだけど、これが最高だった。普通に観た(というか私には基礎的教養がマジでない、中高大授業全部寝てた)から気づかなかったんだけど、姉にあれはホロコースト映画だと言われてハッとした。アメリカへ逃げてきたこと、腕に彫られた数字、収集癖、定住しないこと、希死念慮を持つ少年と生を脅かされ続け逃げ切った老婦人。この二人だからこそであったのであり、その場が墓なのもかなりイイ。こんなことを考えずとも最高だったけど、何度でも観たい映画だし、何度でもあのラストを思い出して泣いたり元気になったりしたーいって思った。で、ご機嫌に寝た。そんな一日だった。