2020/01/14

ジェームズ・L・ブルックスの会話劇

まずこれを始めた経緯について
修士論文を提出し終わった翌日、大好きなともだちと飲んでて話したこと

・東京で生きていくにはなにかをつくってなきゃいけない
とにかくなにかを発信してるのがかっこいいみたいな風潮がいつからかずっとあると思う。目立たなくてはいけないという脅迫観念に囚われているし、明らかにダサいのにこれは誰がつくったからとか誰が持ってるからとかそういうステータスにあふれている。それが必死な人たちがつくりだした街、「トーキョー」
(それを体現しているのが渋谷パルコだと思う

・ものが溢れすぎている
つまりその観念に囚われた人々によってものが溢れすぎているんじゃないかって。それは本当に必要?同じようなものがあんまりにも多すぎる。 

昨年の私はまさにそれだったと思うなにかをつくって誰かに認めてもらいたくてみたいなでもたくさんつくったらもう気力がなくなってしまった(空間にしてもジンにかんしても)そこまでしてがんばる必要はまずないはずなのだ。

ということを話してた。で、ひらめいたのがこういう形。ジンはまた気力がわいたら作ろうと思う。でも私は自分が好きだって思うひとたちともっと気軽に語れる場があればいいって思ってるのはずっと変わらない!と思ったのでこういうのを始めてみました。続くかわかんないしどういう感じになるかはわからないけどゆるくやっていこうと思う。

第一回目、何書こう迷ったけど(フレデリック・ワイズマン『ニューヨーク公共図書館』も、ヤスミン・アフマド『細い目』も最高だった。あとは清水宏にハマってます。)とりあえず、修士論文執筆中に見たジェームズ・L・ブルックスの幾つかの作品についてタラタラ書こうと思う。
発端は、年末くらいにツイッターで回ってきたこの記事。
で、三宅唱が好きな映画にジェームズ・L・ブルックスの『スパングリッシュ 太陽の国から来たママのこと』(2004)を紹介していた。ブルックス作品はいつだかに『愛と追憶の日々』(1983)を観た記憶があり、それが悪くなかったので早速観たらとにかく最高だった!ありがたいことに、ブルックスの映画はNetflixに上記二作に加え、『恋愛小説家』(1997)『幸せの始まりは』(2010)がある。マジで最高。
ブルックスの映画は映像どうたらとかそういう難しいこと抜きにとにかく会話のスピードがスゴい。年末に『マリッジ・ストーリ』を観てからバームバック熱が過熱した私はやっぱり会話劇が好き!ということに気づいたので、ブルックスの作品は本当にぴったりだった。とにかくよく喋るし、とにかくよく喧嘩する。それがめちゃくちゃ気持ちがいい。こんだけ素直に感情出したっていいよねって思えるから。
そしてどの作品も必死なダメ男が出てきてそれが最高にかわいいし、観ていて嫌いになれるわけがない。『幸せの始まりは』での主人公の助手の産後のプロポーズのシーンなんかは愛が溢れすぎてて完全に感情奉仕になる。(ここで助手の旦那が婚約者(助手)に対して「princess of worry(心配性のお姫さま)」っていうんだけどなんてやさしい言い方なの!って感動しちゃった。)
『恋愛小説家』はめちゃくちゃ自己中なおっさん(ジャック・ニコルソン)のラブコメなんだけど、これもでてくる人物がみんなイイやつすぎて最高。私は性善説を信じきっているので、こんな悪態ついてるやつでもめちゃくちゃキュートだよね、絶対そう!とか思い込んでて、それが全員にバッチリ当てはまる。そんで、ジャック・ニコルソンが自宅のドアを少し開けて外を眺めるシーンはめちゃくちゃ『シャイニング』で笑える。

そしてどの作品もラブコメなのにしっかり家族関係を映し出す。スゴいぞ、ブルックス。たった一夜で大ファンになってしまった。

現実世界がそうであるように会話はとめどなくつづく。そこを切り取ってくれると私はどうしてもうれしくなってしまう。私たちは観たいときに観たい映画を観て、あーあれ面白かったな、誰かに教えようなんてそれくらいの気持ちでいいんじゃないか。