2021/06/21

2021年5月に観た映画。

『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ~』(高橋伴明)★★
『白鳥の歌なんか聞えない』(渡辺邦彦)ラピュタ阿佐ヶ谷★
『痴漢日記5 尻を撫でまわしつづけた男』(水谷俊之)
『人間に賭けるな』(前田満州夫)★★★
『大江戸性盗伝 女斬り』(藤井克彦)ラピュタ阿佐ヶ谷★
『蔵の中』(高林陽一)ラピュタ阿佐ヶ谷
『スペシャルレッスン 変態性教育』(佐藤寿保)★★
『オリーブの林をぬけて』(アッバス・キアロスタミ)★★★
『桜桃の味』(アッバス・キアロスタミ)★
『デソレーション・センター』(スチュアート・スウェジー)★★
『新宿マリア』(若松孝二)★
『薔薇と鞭』(遠藤三郎)ラピュタ阿佐ヶ谷★★
『俗物図鑑』(内藤誠)ラピュタ阿佐ヶ谷★
『実録エロ事師たち』(曽根中生)★★
『見えない恐怖』(リチャード・フライシャー)★★
『高級ソープテクニック4 悶絶秘戯』(瀬々敬久)★★
『逆情』(若松孝二)★
『愛欲の標的』(田中登)★★
『ニュー・ジャック・アンド・ヴェティ モダン・夫婦生活讀本』(沖島勲)★★
『人も歩けば』(川島雄三)シネマヴェーラ渋谷
『幽霊暁に死す』(マキノ正博)シネマヴェーラ渋谷★★★
『明日をつくる少女』(井上和男)ラピュタ阿佐ヶ谷★★

22作品。ベストはマキノ正博『幽霊暁に死す』。編集・カメラワーク・音響、どれも尋常ではなく、一人で二役を演じる長谷川一夫のトリック撮影も相まって、不思議な高揚と感動があった。そういえば、しをさんが昔の映画人について「体力がヤバすぎる」と書いていたが、それは皆ヒロポンを飲んでいるからです(証拠もなく断言)!戦前がどうだったかはわからないが。マキノ監督も戦後はヒロポン中毒に苦しんでいたらしく、『幽霊暁に死す』で最もどうかしている職員会議の場面などを観ると、あのドラッギー演出にはヤクブーツの影響があったのではと思わずにいられないのである。脚本家の桂千穂が日本映画黄金時代に活躍した女性スクリプターにインタビューした聞き書き本『スクリプター 女たちの映画史』の中でも、数人のインタビュイーが口を揃えて当時の映画界のヒロポン汚染について触れていて、その実情が気になっていたところだ。これについてなにか良い文献があれば教えてください。というわけで今日までに読んだ本。

ウォーレン・オーツ『荒野より』訳:大久保賢一
管賀江留郎『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』
内村祐之・吉益脩夫 監修『日本の精神鑑定』
吉川浩満『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ 増補新版』
桂千穂『スクリプター 女たちの映画史』
小川紳介『映画を穫る ドキュメンタリーの至福を求めて』
キャシー・アッカー『ドン・キホーテ』訳:渡辺佐智絵
キャサリン・ダン『異形の愛』訳:柳下毅一郎
秋田昌美『スカム・カルチャー』
マーガレット・アトウッド『ダンシング・ガールズ』訳:岸本佐知子
猿渡由紀『ウディ・アレン追放』

ケネス・アンガーの伝説的悪書『ハリウッド・バビロン』でチャップリンのキモいロリコン話を読んだ後に、パートナーであるミア・ファローの若い養女と結婚したウディ・アレンのゴシップを読んでしまったので、いささか下世話な受け取り方をしてしまったが、『ウディ・アレン追放』はアレンがハリウッドで干されるまでの経緯やディラン・ファローに対する性的虐待容疑に関して知る上では良い資料であった。HBOのドキュメンタリー『ウディ・アレンVSミア・ファロー』への反応についてなど直近の情報もしっかりフォローされている。容疑については、アレンのキャリアを終わらせようとする被害者側と、ディランの義兄であるモーゼス・ファローも含めたアレン擁護側の言い分が全く食い違っていて、正直現時点では白とも黒とも言い難い。少なくとも、実際に有罪判決を受けたポランスキーと、20年前に一応は証拠不十分で不起訴という判断を受けたアレンを性犯罪者として同列にあげつらうのは妥当ではないのでは。虐待はなかったと結論づけるよう上から圧力があったという児童福祉局職員の証言もあるのだが。そんな状況の中で、アレンが腫れ物のように扱われるのは仕方ないとはいえ、俳優たちがアレン作品をボイコットしたり、嬉々としてアレンと手を組んだはずのアマゾン・スタジオが不当に契約を破棄したりするのには、何を今更?と思わないでもないが、"#MeToo"や"Time's Up"といった社会運動の目的はそこにこそあるのであって、アレンが過去を問われるのも必然か。ただ、本当にアレンが7歳の養女に性的虐待をしたのかどうか、僕には判別がつかないのである。管賀江留郎『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』は、人間がどうしても持ってしまう認知バイアスを克服しようというつまらないくらい真っ当な結論に至る大著だった。その認知バイアス・共感・道徳感情が冤罪を生んできたというのが著者の主張である。巻末で著者は読者に対して口を酸っぱくして「考える前に調べろ」と呼びかける。「読書とは物事を構築していく作業であって、そこになにかしら継ぎ足すことができないのであれば、それは読者ではなくたんなる消費者にしか過ぎない」と。"管賀江留郎(かんがえるろう)"という人を食ったようなペンネームとは裏腹に、全くもって真っ当なメッセージだが、これは実に骨が折れる作業である。でも、「調べるの結構好き」と思えてきたので良い傾向と思う。証拠もなく断言!とか言っている場合ではない。フィクションではキャサリン・ダン『異形の愛』が素晴らしいフリーク小説だった。それからキャシー・アッカーの『ドン・キホーテ』もよかった。特に、「彼女(彼)」「彼(彼女)」「女の子(男の子)」と釘を刺すように何度も何度も両性具有の三人称が繰り返される"異性愛"と題されたパートが強く印象に残っている。カーソン・マッカラーズ『心は孤独な狩人』の中の「よほど頭の良い人でも、この手の問題についてはたいてい思い違いをしてしまうようだが、それはどうしてだろう?人間は生まれつき両方の性を有しているのだ。」という一文(訳:村上春樹)が思い出される。終わり。

Jim Ford - Love On My Brain