2020/04/12

2020.4.6-2020.4.12

面白かった映画
『不倫団地 かなしいイロやねん』(2005)/『ブリグズビー・ベア』(2017)/『ハイティーンやくざ』(1962)/『散歩する侵略者』(2017)/『日没の印象』(1975)/『俺は飛ばし屋/プロゴルファー・ギル』(1996)/『蜂の旅人』(1986)/『テラスハウス クロージング・ドア』(2015)

相変わらずピンク映画ばかり見ているので90分以上の映画がきつくなってきている。会社の課題で指定された映画の中から感想文を書けというのがあって、なんだかなーと思いながら見た『ブリグズビー・ベア』が結構良くて、こっちにもちょっと変えて載せとこ〜ではいきまーす。

映画をつくる映画はだいたい最高か最悪かのどちらかだと思ってる。
これはまず、ブリグズビーという目の大きなクマのぬいぐるみが登場、数学の法則を並べ続ける(高校の時数学でマジで10点以下ばかりだった私にはマジで未知、なんもわからんかった)。それを血眼で見続ける青年。予備知識なしに見始めると『ファンタスティック Mr.Fox』系なのかと思ってしまうし、その後しばらくしてもこの話は圧倒的ファンタジーで、あーちょっとおかしな数学好きのパパとママと主人公の3人暮らしなのネと勘違いしてしまう。あっという間の序盤で夢見心地になっているのも束の間、青年と両親の言うところの兵隊(パトカー)がやってきて、少年は(そして観客も)外の世界へ連れ去られてしまう。ここまでのテンポの良さ!
主人公は幼い頃に誘拐され、大学教授夫妻に監禁されていたことを知る。そして本物の両親と妹と感動の再会をはたすが、無論主人公はこれまで大学教授の夫妻を本当の両親だと思って生きてきたわけなので当人は困惑しながら日々を過ごす。しかし、数学マスターである彼は決して馬鹿ではない。自分の人生そのものだったブリグズビー(これは「古い」パパの自作であったということが明らかになる。何百本ものアニメを自分一人で作ったのだ。本作で一番狂気的なのはおそらくコイツ。)を映画化することを心に決める。そして自分を救った刑事やら妹といい感じのボーイやらと映画作りを始める。
なんといってもイイところはこの映画には善人しか出てこないってところ。「古い」パパとママでさえ、悪人としては大して表現されず、育ての親であり数学を教えてくれた人として、ほとんど善人として描かれる(ブリグズビーを映画化することによってそれはさらに後押しされる)。何より、主人公がいちばん善人として描かれてる。馬鹿ではないが、外との接触がほとんどなかった彼は純粋なこころを持ちつづける。「善人しか出てこない」というのは多分語弊で、私たちからしてみると悪人であっても彼の目に映る人間は大体、ほとんど善人なのだろう。
彼の純粋さを感じるシーンは多くある。なかでも序盤、「古い」両親とともに過ごしていた頃、ブリグズビーを見たのち彼はパソコンに駆け寄り、今回のブリグズビーの感想を述べる。アニメキャラのTシャツをインしたギークくんの、その先駆けYoutuber姿には泣けてしまうし、さらにそれは両親によってネットはもとから繋がれていなかったという悲しすぎる事実を知ったときの彼の顔は素晴らしい。また、ネットで検索する際には「How to make a movie show? Thank you」などとネットへの話しかけをしている(ここから音楽が流れ始めさらにテンポは軽快になる)。優しすぎるギークくんに対し、私たちは映画作りを応援せざるを得ない。実際、映画作りのシーンは超イイ。夜景の撮り方も美しいし、刑事による迫真の演技(学生の頃演劇部だったんだって)、そこで映し出されるのは友だちとの関わり、恋愛、家族愛。もう全部じゃん。
映画をつくる映画は最高か最悪かだなってすぐ思っちゃう、後者は決まってシネフィルオタクのいわゆる陽キャに対する一種の羨ましさから作られている気がする。だからこそピンク映画に多いそれはほとんどつまらないし、大体蓮實かゴダールの本が出てくるし、途中でフェリーニやらの名言だったりオマージュを使う。そうではなく純粋な映画づくり、映像を撮りたいという気持ちを描いた映画こそ最高だって思う。例えば岩切一空『花に嵐』や三宅唱『ワイルドツアー』が(後者は映像をとっているだけだが)それにあたるんじゃないか。これも映画・映像を撮りたいというそれだけの素直さが描かれている。その素直さは主人公から家族や友だち、周りの映画作りをともにする人々へ浸透していく。私はこの長い長い春休み、ダチと凧にGoProをつけて上空の景色が撮りたくて、それだけのために凧を飛ばして走っていた(普段運動しないぼくたちが!)。作品の内容以前に、映像や映画を撮ろうとするこの行為こそがたのしくて美しいのだと思う。
ところでブリグズビー・ベアに出てくる太陽はメリエスの『月世界旅行』(1902)にそっくりである。これは意識しての結果だろうし、監督がメリエス的な劇映画(vsリュミエール的記録映画。こうやって二分するのはまた違ってんだけど、とりあえずの話)を愛していることがわかる。そして思い出したのが、なぜ月は擬人化されるとおじさんになるのかってこと。さくらももこ『コジコジ』に登場する太陽のゲランもおじさんだよね〜。太陽おじさんキャラのコレクションを頭の中で増やしてこ!

在宅勤務映画が変わらず見まくれて最高。みんなそんな会社行く必要ってないんじゃない?イイ方向に進んでくれ。ともだちに会えんのはさびしーけどインターネットのおかげでなんとかなってる、みんな話そ〜。以上です。